人物ファイル

版画家 太田 二郎さん

土地に眠る記憶を伝えていく

東京都目黒区生まれ
諏訪郡富士見町在住
版画工房フェンリル主宰
Mail  kouboufenrir@yahoo.co.jp
http://kouboufenrir.web.fc2.com/

フェンリルと日蝕

2012年5月21日、日本各地で金冠日蝕が観測された。現代では天文学が進み、日蝕が起こる日時を正確に測ることができるが、今のような科学や天文学が発達する以前の世界では一瞬でも太陽が隠れてしまうことは大変な恐怖だったことだろう。予測できない天変地異や自然災害を目の当たりにすると人々は何か得体のしれないモノの大きな力を感じてしまうのかもしれない。そして、そういった自然への畏怖や崇拝から神話や伝説が生まれることとなる。

北欧神話の1つに、日蝕は巨大な狼が太陽を呑みこむために起こり、それによって世界が闇につつまれるという話がある。その中に出てくる巨狼フェンリル。悪であるフェンリルは神とも言える太陽を呑み込むが、それによって太陽が新しく生まれ変わるという善の結果も生み出した。すなわち、本来、善も悪もないというのがこの神話の教えである。版画工房フェンリルの名はここに由来している。

太田さんの版画は世界中の神話や民話の中に現れる妖精や精霊を題材としているが、富士見町に伝わる民話の中にも北欧神話に出てくるお話と共通するものがあるそうだ。

巨狼フェンリルは悪神ロキと霜の女王アングルボダとの子供で、あらゆるものを貪り食う。神々はこの巨狼を封印するために、絶対に切れない魔法の鎖で縛りつけるのだが、その時の代償として、チュルという勇敢な神が狼の口の中に右手を差し入れなければならなかった。

日本においても古来、狼=オオカミ=大神であった。今でこそ絶滅してしまったが、明治時代までは日本各地に生息し、山間部では信仰の対象として崇められてもいた。しかし、同時に家畜や人が襲われることもありおそろしい存在でもあった。寛政11年(1799年)、乙事村(現・富士見町乙事)の治郎兵衛が素手で狼を退治したという記録が残っている。治郎兵衛はこの時、左手で狼を抱きかかえ、右手を狼の口の中に入れ相当な傷を負いながらも退治したという。

 

決して覗かないでください

 

フランスに残る民話の一つにメリュジーヌ伝説というものがある。メリュジーヌは森の泉に棲む精霊なのだが、森にイノシシ狩りに来ていた貴族のレモンダンという男性と結婚する。この時、メリュジーヌは夫に一つだけ誓いを求めた。それは毎週土曜日に自分は姿を消すが、その時自分のことを決して探さないで欲しいということであった。始めのうちレモンダンは誠実に約束を守った。その結果としてレモンダン家は繁栄して行くのだが、夫としては日に日に妻の様子が気に成り出し始める。そして、ある日の土曜日、メリュジーヌが秘密の部屋で水浴びをしている姿を見てしまうのである。その時の妻の姿は、腰から下が蛇の姿であった。自分の正体を知られたメリュジーヌは夫のもとから姿を消してしまった。日本の昔話の鶴の恩返しもこのメリュジーヌ伝説とよく似たお話である。秘密は時として知らない方が幸せということがある。女性の秘密を追及しないことが男性にとっての幸せかもしれない。

このように、世界中の民話や神話などには共通の要素が含まれていることが多々あり、太田さんはそこから版画の題材をインスピレーションすることも多い。

 

自分自身を助けてくれた「客観性」

 

太田さんは、大学を卒業後、東洋鍼灸専門学校を経て地元東京でマッサージ師として働いていた。「毎日たくさんの患者さんを治療し、マッサージ師としての技量も向上して行ったんですが、同時に自分自身への反動(マイナスの想念など)も受けてしまい、それがどんどん蓄積してしまったんです。その結果、大病を患いマッサージ師としての生活をあきらめざるを得なくなりました。そんな時、患者さんの一人から版画を薦められたんです。今から7年程前ですかね。これが、今となっては自分を助け、自分の大きな柱となるとはその時思いもしませんでした (笑)。元々、絵を描くこと自体は好きで色鉛筆画を描いていたんですが、何事にものめり込んでしまう性格の所為か、描き始めると無我夢中になって、延々と描き続けてしまうんです。気付けば余計にストレスを溜め込んでしまっていましたね。版画には、『彫る』⇒『色を塗る』⇒『刷る』という工程があって、そこには他の絵画にはない『客観性』というものが生まれるんです。そのことが自分にとってすごく良い効果があったのかもしれません。」

妻、尚子さんも言う。「彼はよく刷り終わった自分の作品を見て『なるほどそういう意味だったのかぁ』と言っているんです。心に浮かんだイメージを夢中になって彫っている時には見えなかったものが、刷り上がって客観的に自分の版画を見ると新たな発見というか意味みたいなものが解るようで、その様子を見ていると版画って面白いなって思いますね。」

富士見町・妖精との出会い

 

2011年12月1日、太田二郎さんと尚子さんは富士見町に移り住んだ。二人ともいつかは東京を出たいと考えていたのだが、二郎さんが学生時代に訪れた富士見町に改めて二人で来た時、「ここにしよう」と決めた。太田さんが妖精や精霊を版画の題材にしたのは富士見町に移り住んでからなのだが、富士見町には他にはない魅力があると言う。「ここは、妖精の気配を強く感じるんです。多くの自然が残っているし、野生動物もたくさんいます。地域のいたるところに伝説がありますし、独特のお祭りがあります。私たちが移り住んだ日の12月1日は富士見町では『川びたり』の日です。蕎麦団子と水を入れた柄杓を手に後ろ向きに家を出て川へ行き、川の中に柄杓の団子を空けて河童に差し上げるそうです。河童=水神様なので、水難除けの行事ですね。標高900mのこんな場所にも河童の伝説があるのだと思うとなんかワクワクしませんか?」

富士見町に来てからは大病を患っていたということも忘れてしまうくらい充実した毎日を過ごせている。そして、妖精が導いてくれる縁にも驚いている。ある時、尚子さんが働いていた富士見町のカフェにテレビドラマ「ゴーイングマイホーム」の美術スタッフが食事に来た。その時、カフェに飾ってある太田さんの妖精の版画をそのスタッフが目にして主人公の部屋の絵として飾ってくれることとなった。また、白州町にある五風十雨農場のマニ車に彫刻させてもらったりもした。妖精を題材にしているが故につながっていく事が増えている。

「富士見町や小淵沢町など八ヶ岳山麓は古くは縄文時代から人々が暮らし、たくさんの伝説や民話が残っています。しかし、自分たちの住んでいる地域にそのような伝説や民話を知っている人は少ないかもしれません。語り部は高齢者の方が多いのでお元気なうちに少しでもたくさんのお話を聞かせてもらえたらなと思っています。そして、版画を通じてそのお話を伝えていけたらいいなと思います。」

  • 富士見町,小淵沢町の伝説地図

  • 白州町・五風十雨農場のマニ車

  • コロシアム・イン蓼科版画展

  • 左から「クーナ」「フェンリル」「シャナンティシー」

  • 仕事道具

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