第十三回茅野くらんなか亭
11月1日(土)茅野市宮川のかんてんぐらにて「第十三回茅野くらんなか亭」〜春風亭正太郎独演会〜が催されました。開演前から会場内をぎっしりと埋め尽くす120名を越えるお客様。この日演じられた三つの演目は、どれもこれも見事な出来栄えで会場内は笑いと、思わず起こる拍手の渦。本当に面白く、落語の素晴らしさを肌で感じる一夜となりました。
今夜の「くらんなか亭」終了後、正太郎さんに、落語家になったきっかけやこの地で落語会を行う思い、また今後の夢などを聞かせてもらいました。
落語家への挑戦
—小さい頃から落語家に憧れとかあったのですか?—
「落語というものに最初に触れたのは中学3年の時です。学園祭かなにかで落語をやらなければいけない事になり、初めてテープで落語というものを聞いてみたんです。その時正直驚きました。たった言葉一つで無限の世界がどこまでも広がっていく、こんな世界があることに。確かに私の中の何かが変わったのだと思います。その後大学の落語研究会に入り活動をしていましたが、まだ落語家になろうとは思っていませんでした。卒業後も普通に塾講師として勤めていました。私が教えていた子ども達が無事卒業し、進路も決まった頃、やはり心の中に思いを持ち続けていた落語に挑戦してみようと決断し、師匠の門をたたきました。24歳の春です。なかなか厳しい師匠でした。でもそのおかげでしっかりと芸事の精進が出来たんだと思います。」
茅野での落語会
—茅野での落語会のきっかけは?—
「長い前座時代の後二つ目に昇進したのをきっかけに、この茅野の地で落語会を開きたいなと夢見ていたのです。というのも幼い頃から父親や母親に連れられ蓼科を訪れていて、私自身この茅野の地が大好きでした。ちょうど父親が茅野に山小屋を作ったりということもありました。でも名前も知らない若手落語家の独演会など出来るのかなとも思っていましたが、牛山政富さん、小平幸男さんを始めとする地元の方のご協力でなんとかスタートする事が出来ました。最初茅野駅前の料理屋さんをお借りして開催したのですが、やがて宮川かんてんぐらで『茅野くらんなか亭』が出来る事になりました。当初は懸命に人集めをして頂き、ようやく40人程のお客様で始まったのですが、くらの会の伊藤会長などのご尽力もあり、おかげさまで少しずつ少しずつですが、口コミでお客様が増えてきました。本当にありがたい限りです。」
ー茅野のお客様の反応はいかがですか?—
「最初の頃は私も、お客様も手探りのような感じだったと思います。こんな事私が言うのもおこがましいのですけれど、回を重ねるごとに落語を楽しむという土壌がしっかり育ってきたように思います。東京で演じる時とはまた違い、この地で行う落語会はすごく新鮮ですし、いつまでも大切にしたいと思います。特に、かんてんぐらで行う茅野くらんなか亭は私の本当に大切な舞台だと思っています。」
これからの事
—今後の思いやメッセージをお願いしますー
「これからも寄席演芸を、気軽にエンターテイメントの一つとして楽しんで頂ければとても嬉しい事です。私は今二つ目ですが、今後真打ちに、また真打ちになった後も名人を目指して頑張っていき、こうして足を運んで下さる皆様に少しでも恩返ししたいと思っています。これからも一生懸命続けてまいりますので、どうかよろしくお願い致します。」
取材を終えて・・・
正太郎さんの取材後、かんてんぐらを出ると、降り続いていた雨はやんでいました。帰り道歩きながら、今夜正太郎さんが最後に演じた「井戸の茶碗」をふと思い出していました。お金や物よりも大切な、人の心や矜持というものがある事を笑いの中で教えてくれる。今の世の中の価値観も東北の震災以降だんだんそんな社会に戻ってきているような気がします。
今夜、正太郎さんの熱気のある落語に包まれ、大笑いし、会場内の人達と共にとても楽しいひと時を過ごせました。それは間違いなく幸せな事です。これからもずっと「茅野くらんなか亭」を続けて頂きたい。そんな思いがこみあげてきたのは私だけではないでしょう。