人物ファイル

雪山とカービングを愛する スノーボーダー 小林浩樹さん

朝イチで山頂に上ったときの雪山の匂い。   その時に私ははっきりと確信します。     「こここそが自分の帰るべき場所なのだ」と。

富士見町出身。2000年から10年間、トップスノーボードライダーとしてテクニカル界で活躍。第12回 全日本技術選手権大会5位。
初代カーブマン代表として、キャンプやイベント・大会などの企画&運営を行う他、スノーボードのテクニカルビデオの制作など幅広く活動する。
カーブマンHP http://www.carveman.com/

スノーボードとの出会い

「小学生の頃、自宅から車で2、3分の所に富士見パノラマが出来て。当時は毎晩、学校が終わったらナイターに出掛けていました。中学生で本格的にスキーを初め、高校生の頃は高体連でスキー競技をやっていました。
高校卒業後、2年くらい東京にいたんですが、地元に帰って来た際、久しぶりにスキー場に行ったんです。その頃はちょうど第一次スノーボードブームの時で、『スキーヤーはどこにいっちゃったの?』というくらい、みんなスノーボードばかりやっていました。
自分はスキーヤーだったので、最初は抵抗がありましたね。『あんな、チャラチャラしたスポーツはやりたくない』って。でも、周りから『一度はやってみなよ。』と誘われて。『じゃ、ちょっとやってみようか』と始めたのですが、あまりに滑れなかったのが悔しくて。それから、どんどんはまっていってしまったのが始まりです。
目と鼻の先にスキー場があるので、自営業の仕事を手伝いながら仕事が終わったら毎晩ナイターに通って、週末は白馬に行ったりして滑っていましたね。」

 

日本一を目指す!

「24歳の時、結婚して子供が生まれたこともあって、区切りをつける意味で翌年、最後に一度くらい大会というものに出てみたいと思い、全日本技術選手権の中部地区大会に出たんです。そうしたら、初出場で130名位出場した中でいきなり優勝してしまいまして。トップ通過だったので、ボードメーカーさんが応援しますよということでスポンサーになってくれて・・・。
それから、やめるにやめられなくなってしまった感じですね(笑)。嫁さんも『もうちょっとやってみたら』と後押ししてくれて。その後、中部大会で3連覇して全日本でもシード10に入ることができて。サラリーマンを続けながら全日本を代表するトップクラスの選手として活躍。2005年からはグレイスノーボードに移籍して、自分のモデルのボード開発やプロモーション活動などもしました。
10年たって日本一になれなかったらやめようというのは、選手になって7、8年目位から決めていたんです。『どうしても1番になりたい』という思いにこだわってずっとやっていたんですが、どうしても1番になれなくて。それで10年目にスパッと気持ちを切り替えて引退を決意したんです。
今は、OBとしてメーカーと関わっていて、今年3月に行われたジュニアワールドカップに日本代表として出場した選手の育成など、若い中高生の選手の指導、コーチをしています。」

 

自分の子供たちのこと

「現役の頃、シーズン中は忙しくて、子供が自分の知らないうちに大きくなっていたという瞬間もあったりしました。今でこそ小学生と中学生になった子供を連れてスキー場に行く事もありますけど、小さい頃はお父さんが家にいない、という寂しい思いをさせていたこともあったのでしょうね。
子供ができたらボードを教えて10代になったらプロにさせて・・・などという勝手なイメージがあったんですが、実際は子供たちは、どっぷり野球にはまっていますね。
僕がスノーボードを好きで今までやり続けているので、子供は子供で好きなことをやらせてあげたいし、自分でやりたいものを見つけて、必死になってやってもらいたいと思いますね。」

 

フリーライデングを愛する集団。カーブマン

「選手を始めた2001年、富士見パノラマで滑っている仲間達とカーブマンというチームを発足しました。最初は小さなステッカーを作ってボードに貼って。そのうち、『俺も一緒にやりたい』っていう仲間がどんどん増え、アマチュアでやっていた選手がプロの選手権で表彰台に立ち、技術戦などでは九州から北海道まで、またメーカーさんの間でもカーブマンという名前が通るようになりました。
仲間のライダーは30名以上。現役のプロ、デモンストレーター、トップアマによる、カービングを愛するスノーボードユニットです。
“フラットなスキー場を曲がって滑っていく”、そこにずっとこだわって滑りを追求していくという。
カーブマンではDVDをリリースしたり、『1DAY』という一般のお客さんと一緒にレッスンや食事を共にするキャンプを行ったり、一般の人たちも参加できるカーブマン決定戦という技術戦の大会を開催したりしています。」

 

これからの事   スノーボードの魅力

「今指導している子供たちが、今後選手として活躍していけるように成長を支えていきたいですね。あと、富士見町商工会青年部さんと組んで富士見町の小中学生を対象にしたスノーボード教室をやらせてもらっています。
今までは自分のためにスノーボードをやってきたのですが、これからはボードを通して知り合った素敵な仲間とその出会いに感謝しながら、一緒にボードの楽しさを広げていきたいですね。
今日の取材で場所を提供して下さったチューンナップ工房・スノーラグハウスの白井さんもその一人です。先程お話ししたカーブマンの活動の中でも、ネットTVでシーズン中のスノーボードに関する映像や白井さんのチューンナップ講座の映像を発信しています。
『スノーボードってカッコイイな、やってみたいな』と少しでも思ってもらえると嬉しいですね。自分自身は、おじいちゃんになってもピンクのウエアを着て滑っていたいです(笑)

スノーボードを初めて18年、人生のほぼ半分を雪山で滑ってきました。ボードを通じて大勢の素敵な人と知り合えることもできました。喜び、苦しみ、挫折、希望・・・様々なものを自分に与えてくれました。だからこそ、朝イチで山頂にリフトで上っていったときの雪山の匂いには心から癒されます。そしてその時にはっきりと確信します。『ああ、ここが自分の帰るべき場所なんだ』と。『こここそが自分の居るべき場所なんだ』と。今でも滑る前には、雪山に必ず一礼してから滑ります。大いなる自然への憧れと、自分に純粋に喜びを与えてくれる雪山に対して。それは自らの身体にしみついているのでしょうね。」

  • 第17回全日本スノーボードテクニカル選手権大会にて

  • 第17回全日本スノーボードテクニカル選手権大会にて

  • 2013年10月にプレリリースされたDVD 【WILD CARD ZERO】

  • 今回の取材場所を提供していただいたチューンナップ工房【スノーラグハウス】。ボードの事になると小林さんとオーナーの白井さんの話はつきません・・・。

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